NewOSK★fan magazine

All About OSK #01 [ロケット]

基礎知識からマニアネタまでOSKに関するトピックスいろいろ

OSKを楽しむために予備知識なんていらないけれど、観劇を重ねるうちにいろんな疑問が出てくるもの。自分がOSKファンとして気になった言葉や物事をひとつづつ整理してみようと思います。まずは、このサイトのタイトルにも使った「ロケット」を取り上げてみました。

ロケット=ラインダンス

「ロケット」「ロケットダンス」という言葉を使うのは歌劇やレビューに詳しい人が多いと思います。一般的には「ラインダンス」のほうが通りがいいんじゃないでしょうか。全員が一列になって揃って脚を上げて踊る群舞です。カントリーラインダンスなど特に脚上げとは関係ない「ラインダンス」もありますが、ショーやレビューの中で「ラインダンス」と言えば脚上げは必須。いかに全員がぴったりと振りを揃えているか、またスピードや回数、上げる脚の高さなどが見どころです。

ロケットの語源は?

ショーのなかでダンサーが一列になって脚を上げるダンスがいつごろから始まったのかはさだかではありませんが、それを有名にしたのはニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールのダンスチーム「ロケッツ(Rockettes)」です。ロケットダンスという言葉はここから生まれました。

1922年、ブロードウェイで大ヒットしたレビュー「ジーグフェルド・フォーリーズ」を見たラッセル・マーカートはジョン・テイラー振付の「テイラー・ガールズ」のダンスに刺激され、もっとスタイルが揃っていて、複雑なステップと、高い脚上げ(eye-high kicks)ができることを目標に1925年に「セントルイス・ミズーリ・ロケッツ」というダンスチームを作りました。このチームがアメリカで評判になり、1932年からラジオ・シティ・ミュージック・ホールで公演を行うようになったのです。

セントルイス・ミズーリ・ロケッツはラジオ・シティ・ミュージック・ホールの前にもブロードウェイの様々な劇場で公演を行っていましたが、ロキシー劇場のオーナーはことに彼女たちを気に入って、劇場に合わせチーム名を「ロキシエッツ(Roxyette)」と変えました。本拠地をラジオ・シティ・ミュージック・ホールとしてからも、しばらくはロキシエッツと呼ばれていましたが、やがて女性形の「ロケッツ」に改名し、今に至っています。

日本のラインダンス

高木史朗の『レビューの王様 白井鐵造と宝塚』によると、1927年(昭和2年)に宝塚歌劇団で上演された日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ〜』のラインダンスではまだ脚上げがなかったそうです。現在のように揃って脚を上げる形になったのは1930年(昭和5年)の『パリゼット』からとのこと。ラインダンスが売り物となったのは1935年(昭和10年)にNDT(日劇ダンシングチーム)が生まれてから、という記述もあります。

NDTは当時の日劇支配人・秦豊吉によってラジオ・シティ・ミュージック・ホールのロケッツをお手本にして結成されました。また、「ラインダンス」という言葉そのものも秦豊吉によって作られ、1936年(昭和11年)のNDT第8回公演『日劇秋のおどり』で初めて使われたそうです。NDT結成以前にもダンサーが列になって踊る場面は珍しくなかったようですが、ロケッツやそれを模したNDTのラインダンスは、脚を上げる回数をはじめとして、高さやスピード、タイミングの揃い方などが、それまでの「振付の一部としての脚上げ」とは一線を画していたために評判を呼んだのではないでしょうか。

大阪松竹歌劇団の「ロケットガールズ」

さて、OSK関係の資料で最初に「ロケット」の名称が出現するのはまだ大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と呼ばれていた時代の1938年(昭和13年)です。『OSK50年のあゆみ』には1938年の『春のおどり』の説明文に「この公演より新しく“松竹ロケットガールズ”の名称が誕生し、従来のラインダンスより一歩前進した」とあります。この「ロケットガールズ」は、東京の帝国劇場で行なわれた松竹楽劇団の立ち上げ公演に参加しています。他の出演者は秋月恵美子、笠置シヅ子、小倉みね子ら、東西の松竹歌劇のスターや、アメリカ帰りでタップダンスの第一人者の中川三郎などそうそうたる面子です。当時の帝劇は芸術性の高いクラシックやオペラの公演が中心で、レビューやタップダンスなどの上演はそう簡単なことではなく、それだけにこの公演にかける松竹の意気込みは大変なものだったようです。

そのころのOSSKの本拠地、大劇(大阪劇場)でもロケットガールズのラインダンスは公演の目玉でした。70人、90人を揃えたラインダンスはさぞかし圧巻だったことでしょう。なかには140人もが出演したロケットダンスがあったと記録されています。月刊せんば143号(1982年12月「特集大阪からOSKの灯を消すな」)には京マチ子、秋月恵美子、芦原千津子など大劇で活躍したスターたちの対談が掲載されています。その中で京さんが「(ロケットガールズに)パスしなくちゃスターになれないというぐらい、皆、すごい誇りを持ってやってたわけね。」と、当時を振り返っています。OSSKのロケットが、ただ人数が多いばかりではなかったということがよく分かると思います。

NewOSKのロケット名場面

近鉄時代に入ると劇団員の数が減りそれまでのように大人数ではなくなりましたが、ダンスの実力はますます向上していました。見ごたえのあるロケットダンスも数々ありましたが、現在では当時の公演ビデオが販売されていないのが残念です。それではNewOSKとなってからはどんな場面があるでしょうか。独断ではありますが、特にお勧めの3作品を選んでみました。

2004年『春のおどり』第2部 第1場 レッツダンス!OSK
音楽:中川昌 振付:麻咲梨乃
洋舞のオープニングにいきなりロケットダンスというのはインパクトがありました。しかも吉津、大貴、桜花以外の全員参加。NewOSK初の、そしてOSKとしては66年ぶりの松竹座公演ということで、何よりもまず得意技を披露します!という意欲の現れだったのでしょうか。さすがに今見てもスピードも揃え方も抜群です。大貴さん桜花さんが指揮者に扮して音楽を奏でるとダンスが始まる……という導入も楽しくて洒落ていました。
『ヒートサマーレビュー サンライズ』第2部 第9景 シング シング シング
振付:中村栄里子
男役の衣装のままで一緒に脚上げをする役を特にロケットボーイと呼びます。直前の場面(歌の場面が多い)に登場して、そのままロケットにも参加するという流れが一般的。ロケットボーイは1人のことも多いですが、ここでは貴城優希、爽加凛、桂稀けいとの3人がこれでもか!というくらい熱気のある歌とダンスを見せてくれます。
2006年『春のおどり』第2部 第8場 レッグ・ゲーム
音楽:鞍富眞一 振付:れい美花
第7景の「ボール・ゲーム」にも登場していたチアガールが主役の場面です。このために劇団員さんたちは本物のチアリーディングのチームに行って指導を受けたとのこと。春咲さんのアクロバティックな技をはじめ、全員のエネルギーがいっきに弾け出すような、とっても爽快感のある場面です。チアガールのミニスカートをパッと開いてレオタードに変わる瞬間も印象的でした。

解散により人数が激減し、ロケットのメンバーも下級生の割合が増えてきていますが、溌剌とした力強いラインダンスはやはりOSKならではのもの。ラインの中央はもちろん、ポイントになる場所には実力のある上級生を配置しているところに意気込みを感じます。これらの作品はいずれもNewOSK日本歌劇団OfficialWebShopSiteでDVDが発売中ですから、未見の方はぜひご覧になってみてください。

2006年11月30日 【松】


参考文献 参考リンク
 

 

 

 

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